生きる
生きるというのは難しい。
生命として命を燃やして生きなければならない。決してただ、時間を過ごすようなことはダメだ。熱く燃えるように生きるのだ。
今日を生きたかった人がいる。それでも死んでしまった人がいる。それなら私たちは彼らの分まで生きるしかない。
もう死にたい なら 死んだことにしよう
なんとなく死にたくなってた時期のことを思い出して、その頃の自分に手紙を書く。
君はそのあとなんとか生き残って、今の僕を残してくれた。ありがとう。先に断っておくと君が絶望したことの中に解決したことなんて一つもない。ただわかったのは、今ある幸せに目を向けるといくらか楽に生きられるようになったよ。ということだ。幸せを数えて微笑むような日々を送れるように頑張って生きている。
君が嫌いだったこと、信じられないもの。それはいまでも嫌いだし、信じられない。でも、幸せだな。と思う瞬間を噛み締めるともっと味が出てくる。だからお願いだから死なないでほしい。どんなに辛い瞬間にも花が咲いてるとか空が綺麗とかそんなことに本気で感動して欲しい。小さな感動は確実に君を強くする。髪をもっと強くしてくれる。世界はすごく美しい。
そんなに僕が辛いと思ってたのかなんてわからないと思いますが、僕の人生においては少なくとも最大限に辛い時期がありました。何も、今も変わってないけど、小さな幸せを噛み締めたら強く生きられるようになった気がします。
でもそんなことを思い出す時点で今も弱ってるのかな。
岡本太郎の本を読んで
彼はどうやら自分を突き抜けさせることが孤独になりそれが強さだと勘違いしているらしい。
本当に突き抜けているならわざわざそれを発言する必要がないし、そんなことを言うなんて女々しくすら感じる。ただ突き抜けて仕舞えば誰にも理解されない領域があることには同意する。突き抜けて突き抜けて突き抜けた先に、何かがあってそこでは全ての人が私を理解しようとするのに、共感されないような場所がある。
そこは、恐ろしく静かで自分の息しか聞こえない。そんな場所がある。
常にそこにいたくても、すぐに誰かの吐息がかかる。それほどこの世界は混沌としている。1人になれない。私はもっと四方八方に尖りただ1人にならなければならないかもしれない。
神はいるか?
神がいるのか。そんなことを考える。
神がいたとして、その神は善良の神か、はたまた劣悪か?もし神がいればそのどちらでもない。誰でも善の部分も悪の部分もある。当たり前だ。だから神にもどちらもあるはずだ。だから良いこともあれば、悪いこともある。
当然神は人が作り出した偶像でしかない。それでもそれを人々は信じる。神がいるかと考える。いるはずがない。いや、いる。私自身だ。私自身の中にいる。あなたの中にいる。全てを失って絶望の淵で何に縋ることもできなくなった時、最後すがるもの。それが神だ。何もない常時に神は現れない。救わない。私たちは神に救われることはない。ただ神が決めた道を歩むだけだ。
あなたが神がいるかどうかわからなくならば、一度死にかければ良い。死にかけて、その時何を信じるか。科学か、人か、はたまた明確な神という偶像か、なんでも良い。その時信じたものがあなたに取っての神だ。
神はそこにいる。あなたの中にいる
神
目の前に起こる全てを楽しむ。
誰かの攻撃も、誰かの優しさも、厳しさも、神のみが私の行く末を知る。ただ自分は無我夢中で体当たりをする。試行錯誤して迷っていてもその全てに体当たりをする。それが運命に抗うことであり、従うことになる。結果生まれる自分という一つの物語を楽しむ。神の描くストーリーを楽しむ。
そんな余裕が欲しい。そんなこころが欲しい。
ただ裸の心で全てを受け入れて、背中から刺されて、前に矢が刺さってそれでも立っていられるような強い心。強い自分、刺されても切り刻まれても、自分であることは、変わらない。ただのタンパク質ではない。ただの肉塊にはならない。考えて全力で戦える。そんなものなんだ。負けない。何にも負けない。勝ち切る。誰も理解できないのに、受け入れざるを得ない。そんな強さが必要だ。
言葉
私に取って大抵の言葉は誰が言ったかではない。そんなことはもう覚えてない。
でも自分の芯に釘を打ちつけた言葉は忘れない。日本一になった時、「君は勝てない選手だと思った。」そう言われた。ああ、私もそう思った。そう思われていた。ここで、満足すればたった一度の勝利では勝てる選手だと思われない。勝てる選手と思われたいのではない。勝てない選手だと思われるのは癪なのだ。
ただで転けるほど、私は弱くない。あるいは、弱くあってはならない。ただ、ひとことそのことで私の闘志に再び火をつけてくれた。むしろ感謝せねばならない。これでまた強くなれる。ただ、許さない。
人はただ柄のない鋭利な刃物を持っている。それを鞘にしまって誰も切らなければ誰も自分も傷つかない。ただ血が吹き出ながらでも、刀を強く握り締め思いっきり振り回す。そうしなければ孤高の頂点には立てない。丸くなってはならないというのはそういうことではないか。